【小学校時代】
原っぱで鬼ごっこや野球など体を動かす事が大好きな少年でもあったが、あまり人前に出ること、目立つことを好まない人見知りな子供でした。
【中学校時代】
バレーボール部に所属、背が低い事でセッター(本当は花形のアタッカーをしたかった・・)
絵を描いたり、ものを作る事が好きで美術や技術の時間は楽しみだった。
高校入試に合格したお祝いに、パーソナルコンピューターを買ってもらう、Windowsが出るもっと前の、DOSの時代です。真っ黒な画面に緑(だったかな?)のアルファベットを並べて、RUNって打ってリターンすると、花火が上がるグラフィックを見て、喜んでいたような記憶が・・・。パソコンについてはそこで興味がストップしてしまい、大きなゲーム機の一つになりました。笑
【高校時代】
懲りずにバレーボール部に所属、セッター、部長でリーダーシップの難しさと面白さを経験し、その頃から人前に立つという事を意識するようになったようです。
進路について大いに悩みました。
・公務員VS民間会社 → なぜか公務員はつまんないというイメージが強く、民間会社は面白いと勝手に思い込んでいました。入るなら民間会社!と決めていました。
・やりがいのある仕事VS趣味に生きる → 人生の生きがいを仕事に求めるのか?趣味に求めるのか?と自問自答していた記憶があります。何かの本から「趣味と実益を兼ねる」という事を知り、「趣味+仕事=やりがい」という考え方が芽生えてきました。
・体育大学VS専門学校 → 本当は4年生の体育大学に行きたかったのですが、経済的理由で2年間だけあれば良いと条件で、出来たばかりの社会体育系の専門学校へ進学することに。
【専門学校時代】
スポーツに関わりたいと漠然とした考えで専門学校へ進学、志の高い仲間に得る。大いに刺激を受け、充実の学生生活を送る事ができた。当時決して裕福ではなかった中、2年間も大金を工面して専門学校に通わせてもらった。(両親に感謝です。泣)在学中に、スポーツクラブ業界について知り、高い関心を持つようになりインストラクターのアルバイトを始める。
【20 代】
学生時代のアルバイトでお世話になっていた会社(スポーツクラブ)にそのまま正職員として採用され1年が経過した頃、突然母から連絡があり父親が癌を発症した事を知らされる。母親に「帰って来て」と懇願され、その事を理由に後ろ髪を引かれながら退職しました。人生初の転職を経験しました。
地元に戻ってからは、運良く立ち上がって間もない会社(スポーツクラブ)があり、そこへ飛び込みで面接をさせてもらい幸運にも入社させて頂く事ができました。
地元で勤めていた会社で3年が経過しました。その間、会社に貢献しようと一所懸命働きました。色々とサービス向上の提案もしました。ですが、家族経営の会社であったその会社には、不条理なことも多く、次第に上司と衝突する事が増えてきました。
そんな矢先、最初に就職していた会社の上司から連絡があり、会社を立ち上げるから来ないか?との誘いを受ける。しかし、勤務地が地元から500km離れた場所!!母親に相談するが、父が他界したばかりという事もあり、難色を示しながらも承諾をしてくれました。
これが2回目の転職となります。新しい会社では初めて部下を持つという事で、本当に寝食を忘れて、新しい事業所の立ち上げに奔走しながら、「管理職って?」、「リーダーシップって?」、「マネジメントって?」ハテナだらけの毎日でした。その間、縁があり結婚し娘が誕生して、父親となるのです。
【30 代】
娘が幼稚園の年長の頃、母親が家を空けるようになり、すれ違いが続き離婚を決意します。娘は私が引き取り父子家庭となる。しばらくは家庭と仕事の両立を目指して懸命に娘と共に頑張りました。職場の皆さんにも支えて頂き、何とか毎日を過ごしていきました。
その後、同じ職場のスタッフと再婚する事となります。彼女(現在の妻)は初婚でしたが、いきなり一児の母になり、3年間は3人家族としての絆を作っていきました。結婚3年後に次女が誕生し4人家族となります。仕事の方も部下が育ち、役職者が増えて私は部長職の重責を負うようになります。
この頃から、経営的な視点で上司に進言する事が多くなってきたように思います。多くのビジネス書を読み漁り、良い会社になるように努めていました。
【40 代】
会社で新事業所を立ち上げるプロジェクトが始まり、その担当者に私が任命されます。初めて単身赴任で他都市に行くことになりました。
全くゼロからの立ち上げを、ほぼ一人で担当させてもらいました。大きな経験をさせてもらったと、今では感謝しています。(当時は丸投げだ〜と騒いでいましたが。笑)
低空飛行ながら、立ち上がった事業所も1年が過ぎ2年目に入った頃、経営状況が芳しくない事が、極度なプレッシャーとなり、ストレスがピークに達していたのでしょう。
突然、急性心筋梗塞の発症で緊急オペ、そして2ヶ月の入院生活に突入したのです。幸い、後遺障害なども無く、リハビリを終えて、無事に退院する事ができました。そして、職場復帰するのです。
久しぶりの現場は、働きにくかったです。これまで現場の陣頭指揮を取っていたのに、以前のようには出来なかったですね。自信もなくなり、退職を決意し上司に相談するも、慰留をされて結局、古巣の現場に戻る事になりました。
でも、何だかやるせない思いは払拭できず、たまたま取引先の会社から、声をかけて頂きました。熟慮して心機一転、新しい会社で一からやり直すか!と家族の後押しもあり退職を決意しました。
これが、3回目の転職でした。20年以上もいた会社を去って、新しい会社へ転職です。私的には人生最後のチャレンジ!くらいに思っていました。与えて頂いたポジションが管理職兼役員という重責でしたが、プレッシャーよりも、前向きな気持ちの方が勝り、その期待に応えていこうと意気揚々と新天地へと出発したのです。しかし・・フタを開けてみると!!驚きの状況が・・・このお話はまたの機会に・・・
4回目の転職を実行中・・・
人生山あり谷ありサラリーマン・カシワギに芽生えたパラダイムシフト
「発想を転換した会社選びを実践中&webライターで会社員と副業の両立を目指し活動中!!」